故事にもとづく「断腸の思い」は子どもを奪われた悲痛のあまり
母猿の腸が細かくちぎれていたことから「深い悲しみ」表すのは周知のとおりです。
この故事をふまえればただ深い悲しみなら自由に使えるのかど
うか疑問です。
先日、14年間事故や故障もなく大切に乗り続けた愛車を
断腸の思いで手放しました。
広島で生まれ育った私は、「核」の問題で大きくつまずい
ている現状を断腸の思いで見てきた。
最愛の人を失った悲しみだけに限定されるとは思いませんが、上の
2例はすこし違和感があります。
週刊誌では次のような使い方をしています。
蓮池透独占激白 福島第一原発の保守管理者として
32年勤めた東電を断腸の想いで告発する!
(週刊文春2011.10.20)
恒例のイベント突如中止の暗転…愛子様と準備2週も
家族集まらず ――雅子さま 断腸! 消えた夕食会
(『女性自身』2010/6/29)
国語辞典には「腸がちぎれるほどのこらえきれない悲しみ」など
とあるだけで、どのような場面で使うと不適切かの注記が必要だ
提案します。
提案します。
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