歌謡曲の一節だけでその時代が浮かび上がり、思わず胸が熱くなる、そんな経験はだれにもあるにちがいない。『有楽町で逢いましょう』もそのひとつ。1957年 (昭和32年) 当時私は小学生でチャンバラゴッコに夢中だったからその時代は彷彿しません。この歌を聞いて彷彿するのはそれから何年も後の高校時代です。そのあたりのことはともかく、この歌の一節に気にかかる日本語があります。
ああ ビルのほとりのティー・ルーム
雨もいとしや 唄ってる
甘いブルース 「有楽町で逢いましょう」
佐伯孝夫作詞の「有楽町で逢いましょう」です。どこがおかしいのだろうと、考え込むほど都会のハイセンス溢れるすばらしい歌詞です。比較のため石原裕次郎のヒット曲『夕日の丘』を聴いてみましょう。
夕日の丘を 見上げても
湖(うみ)の畔(ほとり)を訪ねてもかいなき命 あるかぎり
こころの傷は また疼く (萩原 四朗 作詞)
現代日本語の「ほとり」は「沼のほとり」「河のほとりに」などのように「水」と関連して使います。
水芭蕉の花が匂っている 夢見て匂っている水のほとり (『夏の思い出』)
ですから、建物の「ビル」に使うのはしっくりきません。しかし、広辞苑をみると「古き宮のほとり」が『源氏物語』にあるようです。佐伯孝夫がそこまで意図していたのかは知る由もありません。
立ち並ぶビル街でも川が近くにあればこうも言えるのでしょう。
高校生の三人が学校の帰りに銀座に出て、京橋の畔にあった、いまはなきテアトル東京で映画を見る場面がある。 (川本三郎)
これも奇しくも銀座が舞台です。それで(にわかに心変わりして)しゃれたティー・ルームはやはり「ビルのほとり」になくてはならないと思えてきました。だがしかし(ともち直して)「ビルのそばの」や「ビルのあたり」ではイヤだ。なぜって、このビルはどのビルでもよいのではなく駅前の「楽町ビル」か「あなたのいるビル」でなくてはならないから。つまり「宮」ということなのでしょう。
永井荷風の『断腸亭日乗』大正七年十一月十五日には
階前の蠟梅一株を雑司ヶ谷先考の墓畔に移植す。
とありますから、畔は必ずしも水とは関係ないようです。
そういえば日本の愛唱歌の例を忘れていました。
小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ 島崎藤村
我も死して碑に辺(ほとり)せむ枯尾花 芭蕉
比喩的に「周辺」の意味でも使われます。「シネマのほとりで」(山根基世『ネコのあぶく』)があるかと思えば、小説では荻世いをら著『筋肉のほとりで』という勇ましいのも現れました。さらにさらに京都の老舗「瓢亭」は「懐石料理 京・南禅寺畔」とうたっています。
ちなみにこの『有楽町で逢いましょう』は有楽町駅前にオープンしたそごうデパートのCM。そのそごうも消えてしまいました。
0 件のコメント:
コメントを投稿