2012年11月28日水曜日

天下の京大

大学入学試験で携帯電話を使いネットで解答を求めた事件があった。

   大学の監督態勢や再発防止策に言及する向きもありますが、
          天下の京大が受験生に対してそんなことをしなければなら
      ないこと自体、なさけない限りです。
                        (投稿 京都新聞2011.3.5


投稿者に大学には天下の大学と天下のではない大学の区別が
あるかのようにもとれる。
そういうつもりはないのにふと出てしまう、
この知らず知らずのうちに染みこんだ偏見が怖い。


2012年11月26日月曜日

掘り出し物


本を読む楽しさは自分と違う価値観に出会うこともその一つ。

 
  授業中、学生たちは寝ている。教壇からだと、それがよくわかる。
  忌々しいが、しょうがない。僕の授業が退屈なんだから。しかし
  決して安くない授業料を払っているのにもったいないと思う。
  ぼくの授業が退屈なら、「もっと面白くしろ」と要求すればいいのに。
   (中略)
  有料の講演会でも寝ている人がいるのは不思議だ。わざわざお金を
  払ってまで眠ることはないだろう。
              (永江朗『広辞苑の中の掘り出し日本語』)

 

「『もっと面白くしろ』と要求すればいいのに」なんて、
永江先生は分かっていらっしゃらない。
面白くなったらせっかくの心地よい居眠り時間がフイになってしまう。

京都のある主婦は、歌舞伎を見に行くのを楽しみにしている。
いつも夫が車で送迎役をいとわずにしてくれる。その理由が「歌舞伎は睡眠薬になる」。

 授業のおもしろさと居眠り(非礼かどうかは置いておいて)、
安くはない歌舞伎鑑賞料金を払っての睡眠、
ナントカ5つ★のレストランでの食事、
シルクロードを歩く過酷な」ツアー、
何が貴重かは個人の価値観による。

さらに、さまざまな危険を回避できる快適な日常生活は
「決して安くない」お金で手に入れるもの。
生涯独身を楽しんだ淀川長治さんもそれが分かっていたから、
ずっとホテル住まいだった。
イザヤ・ベンダサンもそんなことを言っていたはず。

不眠症で悩む人にとって、睡眠を確保できる高名な知識人の講演は
なにより得難い掘り出し物。それを理解してくださいな、センセイ。


2012年11月24日土曜日

シクラメンのかほり 

店頭にシクラメンが並ぶ季節になった。

小椋佳が作詞作曲し布施明が歌って1975年(昭和50年)
大ヒットした歌謡曲が「シクラメンのかほり」。

小椋佳自身は「技巧に走り過ぎていやになった曲」だと述懐した。
そしてこの歌詞の多くを北原白秋の詩集からとったと明かしていた。

例えば、「(すが)しい」はそのまま拝借。
「季節が頬を染めて」は「十月が頬を染めて」が元の詩。
出だしの「真綿色したシクラメンほど清しいものはない」は
エルビス・プレスリーの歌で
「朝のマリーほど美しいものはない、夜のマリーほど美しいものはない」
から借りたという。

この楽屋話を聞いて、ファンの心境やいかに。
名歌の寄せ集めのパッチワークだったのかとがっかりするか。
でもがっかりする前に振り返ってみると、
白秋の詩集は、私でも秋の窓辺で開いたことがある。
けれども、詩集全6巻をぼろぼろになるまで読み返しはしなかった。

小椋佳はそこまで夢中になった。そしてその詩歌が琴線(きんせん)に触れた。
その新鮮さに打たれた言葉を使ってみたくなったに違いない。
そこが凡人と違う。
そして何よりも「本歌取り」は文芸の常套手段であり、
古典の素養なしにはできない技なのだから。



 

2012年11月21日水曜日

身長順(二)

もう一度、教員の言葉に耳を傾けましょう。

「身長の順にならばされることが序列付けになって、子供たち、
無意識のうちに一定の価値観を形成させているのではないかと
思うのです。小さいのはよくなくて、大きいのがいいという
価値観です。」

あのポンキッキがしたことはまさにこの
「小さいのはよくなくて、大きいのがいいという価値観」を
テレビの前の幼児に植え付けてしまったのではないでしょうか。
番組制作チームに、私たちの心に潜む「無意識の偏向」を
チェックする機能は当然あったと思いますが、
水森亜土にバンザイを叫ばせてしまった。
製作者たちにそうさせてしまったのは一体何だったのでしょうか。
 
先の教員の投書に対し、4日後に3名の投書が掲載されました。
おそらく新聞社のデスクがつけたであろうタイトルを書き出しておき 

  「身長順にならぶのは当然のことと思ってました」
  「私は嫌だった 名簿順でいい」
  「前は写真で得(と子供には言ってやった)」

あなたはどう考えますか。  

身長順が問題なら、あいうえお順もまた問題でしょう。
名簿を作るときは日本ではアイウエオ順、
英語圏ではアルファベット順です。
このアルファベット順が差別を生み出していると
『エコノミスト』誌が報じ、それを読売新聞が伝えました。

学校では一学期の初めになると教師は名前を覚えやすいように
アルファベット順に座らせる。Zで始まる子どもは視力が悪くても
教室の後ろに座らされ、質問を受けることもほとんどなくなる。
その結果、人前で話すことに自信が持てず、注目されることもなく、
出来が悪くなる。屈辱感を味わうこともある。大学の卒業式では、
AやB、Cで始まる姓の学生は堂々と栄誉を受けるが、
Z姓の順番が回ってくるまでに参列者は寝息を立てる。
就職の面接、投票用紙、会議での発言などすべての場面で
同様のことが起きるのだ。(読売新聞2001.9.18)

 

学校の先生へ。
並ぶときは一番前、呼ばれるときは一番最後になってしまう
「背の低い渡辺」君の気持ちをよく分かってあげてください。


2012年11月17日土曜日

身長順(その一)

まずは小学校教員の投書から。

  私の学校の運動会では数年前まで、児童は大きい順に並んでいました。
 見栄を張ってのことです。大きい順に行進すると、小さい子は大きい
 の歩幅に、後ろからちょこちょこ走って、ついていっていました。
 それで、小さい順にしたのですが、それでも問題がなくなっていない
 ことに最近気付きました。
  身長の順にならばされることが序列付けになって、子供たち、
 
 無意識のうちに一定の価値観を形成させているのではないかと思うのです。
 小さいのはよくなくて、大きいのがいいという価値観です。とくに
 男の子に強いようです。反対に女の子のほうはあまり大きくないほうが
 いいという価値観を持つようです。
    この意識が植え付けられて、一番小さい子は「ちび」とばかに
  されたりします。せめて2番目になろうとします。大きい女の子は
  小さく見られたいと、背を丸めて歩きます。
   これらの原因すべてが学校の背の順にあるとは言えないかもしれま
 せんが、日本人の価値観を左右する一因になっている気がするのです。  
    もし、体重の順に並べられたとしたら、誰もが怒り出すでしょう。
  身長もそれと変わらないはずなのに、と私は思います。
  皆さんは、どう思われますか。
                         (朝日新聞 2001/5/5

 

この投書を読んですぐに思い出したことがあります。もう20数年前、
テレビの人気番組に『ひらけ ポンキッキ』がありました。幼児向けの
質のよい工夫がなされていたのがその人気の秘密だったのでしょう。
そのなかでこんなことがありました。

物の「長い短い」を教えたあとで、「高い低い」に移りました。
レギュラー出演の漫画家水森亜土とポール高木が並んで立つ。
水森亜土はとても小柄、ポール高木は大きく横幅もある。
水森は横に立つ高木を見上げて悲しそうに悔しがる。
高木はうれしそうにニコニコ笑っている。そこで水森が一計を案じ
木箱を持ってきてその上に乗る。まだ高木より低いのでがっかりする。
また木箱を持ってくる。まだ低い。がっかり。
それを繰り返してとうとう、水森が高木より背が高くなった!
水森がバンザイをして大喜び。高木はがっかりする。
細部は忘れてしまったがそんな内容でした。
 
(この項続く)
 
 

2012年11月15日木曜日

だらけ

      
テレビで抹茶をテーマにしていた。
抹茶とともにだされる和菓子も抹茶で作ってあり、
アイシングに抹茶の粉を振りかけた練り物もあり、
抹茶のオンパレードだった。
それを女性アナウンサーが

抹茶だらけですね」

と言った。なんてその場にそぐわない言い方か。
「・・・だらけ」と言われたら柴又の寅さんでなくても

「結構毛だらけ、猫灰だらけ、ネズミの金玉煤だらけ、
おケツの周りは糞だらけ」と、口ずさんでしてしまう。


 近頃とみにアナウンサーの言葉遣い能力が低下している、
と書くと老いの繰り言といわれてしまうのが落ちだろうが。
能力というより訓練されていないのだろう。
指導者の力不足とアナウンサーの練習不足の二重禍かもしれない。

 こういうときは「抹茶づくし」というのではないか。

中には嬉しいだらけ(・・・)もある。

   東心斎橋にある、店内がマリリン・モンローだらけの店で、
   宮根誠司がいつも頼むという鍋を味わう。
                  (京都新聞2010.11.23

 モンローなら「だらけ」でも、いいか。良しとしよう。
 
 

2012年11月9日金曜日

昔はきれいだったであろう

話し手としては褒めているつもりなのですが逆効果と言う例もあります。

    ふとした表情に、10代のころ美少女であったであろう姿を
   想像させる有働薫さんは現在71歳。詩人である。
                 (クロワッサン 2011.1.25 p.5

 

言葉って本当に面白い、ではなく、怖いと思うのはこのようなものいいに
出会ったときです。書き手は決して、71歳の有働薫さんを美しくないと
思ってはいません。それどころかいまでも年齢なりの美しい人だと思って
いるのは間違いありません。でも、やはり、
この「10代のころ美少女であったであろう」は「いまは美しくない」、
と読めるのです。
事実、私の知っているご婦人はこう言われて憤慨し、3日間不機嫌でした。
 
 

2012年11月8日木曜日

最も強い言葉で

少し前の話だが、中国で麻薬密売の罪で死刑判決が確定していた英国人
アクマル・シャイフ死刑囚が刑を執行された。
これに対してブラウン英首相が抗議声明を出した。

  「寛大な措置を求めるわれわれの要求が認められず失望した。
  最も強い言葉で死刑執行を非難する。」(京都新聞 2009/12/30


これに関して作家の辺見庸氏は次のようにコメントした。

    鳩山首相は日本人死刑執行につき「(両国関係に)影響がでないように
   国民も冷静につめていただきたい」とコメントした。この人の口舌は
   ことごとにむなしい。おなじ麻薬密輸罪で英国人に死刑が
   執行されたときブラウン首相は「最大限につよい言葉で非難する」
   と猛反発した。           (『水の透視画法』2010/5/23


具体的な非難の言葉を使わずに「最も強い言葉で」という表現法もあるのだ。
実際にはどのような言葉なのだろうか、と知りたくなるが、
実際にはそれが「最も強い言葉で」なのだ。
少し分かりにくいのでもうひとつ例をあげよう。

北朝鮮の長距離弾道ミサイルを発射に対する国連安全保障理事会の
文章草案を協議していた常任理事国の米国と中国は15日までに、
北朝鮮を強く非難する議長声明文に合意した。
その具体的言葉が次だった。

   議長声明案は、安保理がミサイル発射を「strongly condemns
    (ストロングリー コンデムズ)=強く非難する」と
   最大限の強い言葉を採用。(ニューヨーク共同 京都新聞2012.4.16

 
実は、この表現法はしばしばお目にかかる。
例えば、南極の越冬隊長石沢賢二氏は

    大氷原の何もないところに基地を作る。発電機が回って部屋に
    明かりがともり、水道の蛇口をひねれば水が出る。その時は
       言葉で言えないほどの喜びがありました。こんな経験ができる
       仕事はないですね。(京都新聞2011.12.21

 
と述べている。他には「言葉が見つからない」もある。つまり、
言葉で言い表すことができないのだから、それを他の何かに例えたら
意味が固定されてしまう。だから「言葉で言い表さないのだ」
という表現法なのだ。(何だかどうどう巡りになってしまったか。)
 
 

2012年11月7日水曜日

無理しないで

村上春樹さんが高校生の時、
六甲山の尾根を男子だけが10㌔走る行事があって、
女子生徒は道端で応援していました。

 ほかの男子が通ると「頑張って」というのに、僕のときはなぜか
「村上君、無理しないで」と声がかかる。 (「本の話」文芸春秋)


と村上さんは語っています。
私は「村上君、無理しないで」と声をかけた女子生徒にとても惹かれます。
大勢とは違う言葉遣いができるというのはすばらしい。
(実際には村上君がよろよろ倒れそうだったので、無理しないで、
と言ったのかもしれませんが)
青春コミックの一こまを見る思いです。
誰もが使う言葉を自分の文脈で使える人には魅力を感じますね。
 
 

2012年11月6日火曜日

トルコ風呂

まずは錚々たる顔ぶれの昔の対談から。

吉行淳之介 あなた、女性のほうは・・・ 赤線には、間に合いましたか。
立川談志  ええ、何とか。
吉行淳之介 古典落語のためには、あの世界がなくなったというのは
         ぐあいが悪いね。
大宅壮一 トルコ風呂はどうですか。一種の赤線だがね。
立川談志 知らないんだ、ぼくは。
 (『生意気ざかり』談志人生全集1講談)

 

内容の適不適はおいておく。
さてこの「トルコ風呂」もうすっかり死語・廃語になったと思っていたら
ナント広辞苑6版にあるではないか。ただし「蒸風呂の一種。ローマ風呂」とある。
よかった、さすがに昔の意味は削除されている。
されてはいるが「ソープランド」を見よとあり、その語歴がわかる。

 ことの発端はこうだ。
トルコ人ヌスレット・サンジャクリさんは大の日本びいきの留学生だった。
1984年『日本語スピーチコンテスト』で1位になったが、そのテーマが
「トルコ風呂」。トルコの伝統的蒸風呂は健全なものであるのに、
日本ではいかがわしい風俗浴場の代名詞になっている。
ぜひこの呼称をやめてくださいと訴えた。
 
 

 サンジャクリさんなどの運動でこれに代わる呼称を1984年に
「ソープランド」と改称された。されどしかし、
名前をかえても内容は変わらないのは世の常。

 
時代と国が変わって、1996年韓国で「トルコ湯」問題が再発。
韓国のトルコ大使館がマスコミにこの名称をやめるよう抗議。
韓国が名称を改めなければトルコにある売春街を「コリア・ハウス」と
名づける、と迫った。その後どう進展したか報道はなかったと思う。

 
トルコ風呂が消滅してしまった現在では、

アワ踊り  日本民謡とされているが原曲はトルコ民謡。
               (ビックリハウス版国語辞典 大語海)

も解読しにくくなった。