少し前の話だが、中国で麻薬密売の罪で死刑判決が確定していた英国人
アクマル・シャイフ死刑囚が刑を執行された。
これに対してブラウン英首相が抗議声明を出した。
「寛大な措置を求めるわれわれの要求が認められず失望した。
最も強い言葉で死刑執行を非難する。」(京都新聞 2009/12/30)
これに関して作家の辺見庸氏は次のようにコメントした。
鳩山首相は日本人死刑執行につき「(両国関係に)影響がでないように
国民も冷静につめていただきたい」とコメントした。この人の口舌は
ことごとにむなしい。おなじ麻薬密輸罪で英国人に死刑が
執行されたときブラウン首相は「最大限につよい言葉で非難する」
と猛反発した。 (『水の透視画法』2010/5/23)
具体的な非難の言葉を使わずに「最も強い言葉で」という表現法もあるのだ。
実際にはどのような言葉なのだろうか、と知りたくなるが、
実際にはそれが「最も強い言葉で」なのだ。
少し分かりにくいのでもうひとつ例をあげよう。
北朝鮮の長距離弾道ミサイルを発射に対する国連安全保障理事会の
文章草案を協議していた常任理事国の米国と中国は15日までに、
北朝鮮を強く非難する議長声明文に合意した。
その具体的言葉が次だった。
議長声明案は、安保理がミサイル発射を「strongly
condemns
(ストロングリー コンデムズ)=強く非難する」と
最大限の強い言葉を採用。(ニューヨーク共同 京都新聞2012.4.16)
実は、この表現法はしばしばお目にかかる。
例えば、南極の越冬隊長石沢賢二氏は
大氷原の何もないところに基地を作る。発電機が回って部屋に
明かりがともり、水道の蛇口をひねれば水が出る。その時は
言葉で言えないほどの喜びがありました。こんな経験ができる
仕事はないですね。(京都新聞2011.12.21)
と述べている。他には「言葉が見つからない」もある。つまり、
言葉で言い表すことができないのだから、それを他の何かに例えたら
意味が固定されてしまう。だから「言葉で言い表さないのだ」
という表現法なのだ。(何だかどうどう巡りになってしまったか。)