芥川賞受賞の田中慎弥氏の記者会見。
「もうやめましょうよ」のあの顔をいまでも思いだす。
ところで同時に発表されるのが直木賞。
その発表報道で面白いのは常に芥川賞が先にくること。
第146回芥川、直木賞の選考会が17日、東京・築地の料亭
「新喜楽」で開かれ、芥川賞は円城塔さんの「道化師の蝶」と
田中慎弥さんの「共食い」、直木賞は葉室麟さんの「蜩ノ記」に
決まった。(京都新聞2012.1.18)
重ねて書くことも言うことも不可能なので、
どちらかを先にしなければならないのはわかる。
しかしなぜ、常に芥川賞が先にくるのか。
第1回から調べてはいないので断定はできないが、
例外なく「芥川賞、直木賞決まる」の順序だろう。
アイウエオ順だと言えばそれまでだが、
歴史的に早いほうが先になる可能性も無視できないので、調べてみた。
どちらも菊池寛が1935年に創設したのでこの推理はハズレ。
やはり、純文学の方が大衆文学よりエライという意識が
あるのではないだろうか。
演芸より文藝の方が優れているというのがわが国の伝統だから。
三越デパートが昭和9年に「文芸家遺品展覧会」を開いた。
文芸というから文学である。その出品内容について泉鏡花がいちゃもんをつけた。それを聞き及んだ永井荷風が日記に記している。
三越開催文芸家遺品展覧会に三遊亭円朝のものを出すがため、
泉鏡花氏は先師紅葉山人の遺品は落語家のものとは同列には
陳列しがたしとて出品を拒絶せしといふ。
鏡花氏の偏狭むしろ笑ふべし。(『断腸亭日乗』)
鏡花に限らず、こういうことにこだわる御仁はどこにでもいるのだな、
と可笑しくなる。ピンポンよりテニスのほうが上品だとか、
堤防釣りより渓流釣りのほうが格が上だとか、
とかく上下の区別をつけたがる人がいる。
鏡花先生も人の子、御多分に洩れないのが可笑しい。
落語より文芸のほうが優れていると怒ったのだから。
それを「偏狭むしろ笑ふべし」と一刀両断に切り捨てる荷風散人が痛快。
子供と大人の分別はかくも隔つものなのだ。
藤本義一氏が「文学界」の新人賞に応募したが落選し、
直木賞でも選ばれない頃すでに放送作家として活躍していた。
ライバルの阿部牧郎氏に
「同じ作家でもアタマに『放送』がつくとアカンのや。認めてもらえん」
と言ったという。
三島由紀夫は中央公論社版文学全集『日本の文学』全80巻に
松本清張をいれるなら自分は編集委員を辞めると言ったそうだ。
(谷沢永一『紙つぶて』)
嗚呼、偏狭なるかな。
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