こんな逸話がある。
子供たちが大きな水甕の周りで遊んでいたところ、
よじ登った一人が誤って中に落ちてしまった。
このままではおぼれ死んでしまう。
しかし、子供たちだけでは助け出せない。
運悪く大人がいない。その時一人の子が、
とっさに石を投げつけて甕を割り、助け出した。
答えが必ず見つかるというたとえ話だ。
「甕は水をためる大切な器」であることは言を俟たない。
グーグルで検索すると
藍甕を敲きて秋思身近かにす
工藤菁生
しかし、水を手に入れることが困難な砂漠地帯では、
何キロも離れた泉に日に何回も水を汲みに行く。
そして、水を貯めるのに甕は無くてはならない大切な物だ。
だから甕は割らないように気をつける。
だが、毎日何往復も水汲みをさせられる子どもにとっては
水甕は憎らしいにちがいない。この甕さえなければ毎日の
辛い労働から解放されるのだから。
「甕は割ってもよいのだ」はコペルニクス的発想の転換。
しばしば言われるように、ルールは人を幸せにするために作られる。
そのためルールは守らねばならない。しかし、ルールは破ることも許される。
ルール破りにもルールがあること知らぬ者がルール破りをしてはならない。
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