2013年2月10日日曜日

断腸の思い


   故事にもとづく「断腸の思い」は子どもを奪われた悲痛のあまり
母猿の腸が細かくちぎれていたことから「深い悲しみ」表すのは周
知のとおりです。

この故事をふまえればただ深い悲しみなら自由に使えるのかど
うか疑問です。

先日、14年間事故や故障もなく大切に乗り続けた愛車を
          断腸の思いで手放しました。 

広島で生まれ育った私は、「核」の問題で大きくつまずい
ている現状を断腸の思いで見てきた。 

最愛の人を失った悲しみだけに限定されるとは思いませんが、上の
2例はすこし違和感があります。

週刊誌では次のような使い方をしています。

  蓮池透独占激白 福島第一原発の保守管理者として
  32年勤めた東電を断腸の想いで告発する!
               (週刊文春2011.10.20

 こんな短縮表現もありました。

   恒例のイベント突如中止の暗転…愛子様と準備2週も
   家族集まらず ――雅子さま 断腸! 消えた夕食会
                (『女性自身』2010/6/29

 国語辞典には「腸がちぎれるほどのこらえきれない悲しみ」など
 とあるだけで、どのような場面で使うと不適切かの注記が必要だ
 提案します。
 
 

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