2013年2月7日木曜日

三行半(みくだりはん)

    


『週間文春』(2008年3月27日号)の広告に
 ヒモ亭主についに三行半 広末涼子の「ワタシ改造計画」
とあります。またこんな例もあります。
与謝野馨元財務相と園田博之元幹事長代理らによる新党
           「立ちあがれ日本」の旗揚げに次ぐ、谷垣執行部への三行半。
      21日夕、記者団に舛添新党への見解を求められてた谷垣氏は
     「聞いていない」とだけ語り、党本部を後にした。
                              (京都新聞 2010/04/22

やはり、「三行半」はこのように理解されているようです。
江戸時代、夫が妻を一方的に離縁できました。その離縁状が
「三行半」で次のようなものだったそうです。

   其許(そこもと)殿不縁につき離別致し候ところ
   実証也、然上者(しかるうえは)何方(いずかた)
          へ縁付候とも申分無之(これなき)候、依(よって)
          而如件(くだんのごとし)

「一方的に」が強調されて、ひどい仕打ちといわれるのですが、
文面を見れば分かるように、誰と再婚しようと異議はない、
とはっきり述べています。
つまり、離縁された女性は、この三行半の証文で再婚になんら
支障がないことが保証されたわけです。

 さらに、自分が返せない借金を抱え込んだり、敵討ちする場合に、
その罪科が妻や子に及ばないための手段として離縁する。
その合法的証文が三行半でもあったのです。三行半は配偶者を守る
証文だったともいえます。もちろん自分勝手で離婚する男がいるのは
今も昔も変わりありませんが。 そんな男はきまって別れた相手の
ことを悪しざまに、あることもないことも言いふらすのでは
ないでしょうか。江戸時代の三行半では、たとえ妻に非があっても
その離縁の理由を書かないのがならわしだったといいます。
三行半が再婚のための不可欠の証文であればこそ、の離縁を言い渡す
夫のせめてもの思いやりだったのでしょう。男尊女卑は時代の
要請だったとしても、それを越えてなお人が人に向けるやさしさが
あったことは間違いありません。



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