2013年2月22日金曜日

多すぎる



ことば尻だけをつかまえると変な言い方というものがあります。

   子供を殴ったりけったり、挙句の果てに殺しちゃったりする人が多すぎる。
  
じゃ、何人くらいだったら多過ぎないのか、と尋ねるのは豊かな言葉の世界に無縁の人でしょう。子ども殺しは、たとえ、一人であっても多すぎるのは自明のことです。「パジャマを脱ぎっぱなしにしないでと何度言ったらわかるの!」と言われて「あと1万回」と逃げるのもこのレトリックが分かっていればこその遊びです。

  別の例です。

   沖縄県で米兵2人が、女性への集団強姦致傷の疑いで逮捕された。「この苦しみが何度繰り返されるのか。」地元の反発を押し切る形で米軍の新型輸送機MV22オスプレイが配備された中で起きた事件に、県民は怒りをあらわにする。日本政府は「タイミングが悪すぎる」と困惑し、米側も対応に苦慮している

これも不用意な言い方です。「何度繰り返されるのか」は反語疑問文なので真意は伝わります。しかし「タイミングが悪すぎる」はどういう意図をもって発言されたのでしょうか。米兵が強姦事件を起こすのに「悪すぎないタイミング」があるはずはありません。こう述べた政府筋は「適切なタイミングがあるだろうによりにもよってオスプレイで難しい時に」と考えたのではないことはわかります。

 でもこういう言葉が口から飛び出すのはやはり思考回路が短絡しているからでしょう。そして「殺しちゃったりする人が多すぎる」「タイミングが悪すぎる」といった言葉から考察すると「紋切り型」に汚染されているとしか言いようがありません。

 そういうふうに観察すると新聞記事も「紋切り型」があふれています。

  怒りをあらわにする
    と困惑し
    対応に苦慮している

まるで「柿の実がたわわにみのり」と同じレベルの報道です。
つまり、書き手の顔が見えないのです。
 
 

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