2013年1月10日木曜日

鬼婆の笑いを私は笑った (二)

 
同族目的語は英語では目的語が名詞なのでさまざまな形容詞で
修飾できる。さらに、関係代名詞化が可能なので情報を追加して
述べることができます。

 
   大切な人の死は、喪失であると同時に、新たな出会いで
    もある。死は決して絶望だけではない。死者とのコミュ
    ニケーションを通じて、人間は新しい人生を生きることが
    できる。              (中島岳志)

 

この「新しい人生を生きる」から「今までとは180度違った人生を
新しく生きる」のように表現が広がります。

 

三上さんは、ジーンズの裾をまくり、はだしになって仕事を
    開始した。さほど汚れていないカストロ(引用者註 飼っている
    アヒルの名) のプールの水を全部流してしまい、ホースの水を
    いったん、プール、コンクリートの床、簀の子に勢いよくかける。
    三上さんの手元から門扉にかけて、小さな虹がかかると、その
    弧の下にアヒルが入ってきて羽を広げて喜ぶのだった。紫がかっ
    た透明な虹の粒が羽に弾かれ、ぽろぽろとこぼれていった。
   (中略)カストロは三上さんの手元に寄っていき、黄色い
    くちばしを箸みたいに大きく開いて、虹の根本のところを
    くわえようとしたりする。カストロはこれ以上ない笑いを腹の
    そこから笑っていた。  (逸見傭『赤い橋の下のぬるい水』)

 

動物が、しかも「アヒルが笑う」ことなどないと思うのですが、
「これ以上ない笑いを笑っていた」と書かれると、さもありなん、
と納得してしまいます。これが言葉の力だと感じます。

 

最後に石垣りんの詩を引きます。



    シジミ


     夜中に目をさました。 
     ゆうべ買ったシジミたちが
    台所のすみで
    口をあけて生きていた。

         
「夜が明けたら
    ドレモコレモ
    ミンナクッテヤル」

       
  鬼ババの笑いを
    私は笑った。
    それから先は
    うっすら口をあけて
    寝るよりほかに私の夜はなかった。

   

「鬼ババの笑いを私は笑った」を「鬼ババのように私は笑った」と
したのでは弱々しすぎて詩行になりません。というより、意味が
違ってしまいます。「鬼ババの笑いを笑った」瞬間に私は鬼ババに
なってしまったのです。






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