荷風散人は傍若無人な酔っ払いが大嫌いだったようで、
「日本人の酒に酔いたるほど見苦しく酒の上の暴言乱行は許されるべきものと承知の上にて敢えてするもの尠からず」 (永井荷風 『断腸亭日乗』)
と厳しい。
そういえば、酒に酔っていたので覚えていませんと釈明した政治家もいた。それで罪が軽くなると思っているその心の貧しさ。
「酒が言わせた言葉だと なんでいまさら逃げるのよ」とバーブ佐竹の『女心の唄』にあるように女性にもいちばん嫌われるタイプ。
たとえどんなに酩酊していても口に出してよい言葉ではない。
ではどういう時に言うべき言葉なのか。
隠し子だった息子新之助を家に入れたがひどい乱暴者。その新之助が酒に酔って同じく養女のお光に手を出した。それを止めようとした出入りの者にも大暴れをしている。そこを東吾に一喝されて、新之助は外へ逃げ出す。新之助が暴れた経緯を、東吾が聞くと、養父は
「情けないことでございます。酒の上とはいえ、素人の娘を、まるで女郎かなんぞのように心得て……」
(平岩弓枝『藍染川』「御宿かわせみ 九 一両二分の女」所収)
と答える。つまり、「酒の上とはいえ」は本人が口にすべき言葉ではなく、被害を被った方が、許せない気持ちを強めていう言葉ではないのか。
「酒の上だから余計に許せない」という本心を覗かせた言葉なのだ。
百歩譲って「酒を飲んで正体を失っていたのだから大目に見る」という意味だとしてもそれは許す立場の言葉であって、酒を飲んだ本人が決して弁解に使ってはならない言葉だろう。こういう機微を小説が教えてくれる。
0 件のコメント:
コメントを投稿