まずは新聞記事から。
同部落は120 戸の漁村だが、不思議なことに6月初めごろから急に猫が狂い死に始め百余匹いた猫がほとんど全滅してしまい、反対にねずみが急増、大威張りで部落中を荒らし回り、被害はますます増大する一方、あわてた人々は各方面から猫を貰って来たがこれまたつぎつぎに死んだ。
これは1954年8月1日の熊本日日新聞が報じた水俣病の第一報です。これ以降水俣病患者の長い苦しい戦いが始まったのです。
このニュースに全国の人が恐れおののきました。
ここでは内容とは離れて言葉づかいだけを取りあげることをお許し願っておきます。
記事中の「大威張りで」がなんとも可笑しい。ねずみに「威張る」とか「恥ずかしがる」とか「照れる」とかの感情があるのかないのか知りませんが、あるにしてもそれを身体で表現することがあるのでしょうか。
猫が全滅したからといってねずみが「大威張りで」町中をのし歩いたはずはありません。記者の目にそう見えただけでしょう。真実を伝えるはずの記者が主観で書いていいのだろうか、とムキになってはいけません。これでよいのです。
「大威張りで」を削除してもまだ事実を捏造している部分があります。「部落中を荒らし回り」はどうでしょうか。「荒らしているわけじゃないよ、食べ物を捜しているだけだ。猫がいなくなったから簡単に家に入れるだけのことです。もちろん生きていくためだよ」がねずみの言い分でしょう。
ねずみに、この米は米山さんちの米、このサツマイモは佐藤さんちのイモと判断できるはずはなく荒らしているわけでもありません。ねずみとはそうした生き物なのです。その習性を人間が認めないだけのことです。ねずみはねずみで立派にねずみらしく生きているのはいうまでもありません。
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