2012年10月30日火曜日

室生寺 (一)

言葉は何かを伝達する道具だ。
自分の思いを伝えるためには自分の言葉を持たなければならない。
伝えたい、どうしてもこの思いを共有してもらいたいという
熱い思いがなければ、どれほどの言葉を使っても
何も語っていない文章となってしまう。

 

日常の喧噪を忘れられる室生寺は、のんびりと訪ねたいお寺の
一つです。新緑が香る頃、山を彩る紅葉の頃、凛とした寒さに
包まれる頃…、季節ごとにいろんな表情を見せてくれるので、
毎回新鮮な気分で楽しんでいます。 


これは『クロワッサン』に載ったある女性タレントの文章。
近頃のエッセイスト、レポーターなどにみられる典型的な
何も伝わらない文といえる。

なぜそういえるのか。
それは「室生寺」を神護寺、醍醐寺、東福寺に置き換えても
それなりの文章になるからだ。さらに京都や、寺に限らず
他の観光名所に変えることもできる。日光東照宮、華厳の滝、
阿蘇の草千里、蔵王のお釜などと置き換えても
そつなく通用する文章だからだ。

つまり、室生寺について何も語っていないのだ。

 文章をつづる時何を伝えたいのか、
その事柄をどれほど自分は熟知しているのか。
なぜ伝えたいのか。
その思いがないとただ言葉を並べているだけにすぎない。






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