2012年9月26日水曜日

洗濯してあげる  

4人の女性が性に関して大胆に語り行動する映画『セックス・アンド・ザ・
シティー』にこんな場面があります。
急速に親密になった二人が家を捜しに行きます。
そして男が両親に会ってくれと言ったきり連絡が途絶えてしまいます。
それを女性が友人に告げて、

   「いっしょに家を捜しに行ったらイギリスでは求婚と同じことよ」

と言います。だのにあいつは、許せない、ということでしょうか。
イギリスでなくても現代の日本でもこの含みは同じでしょう。
 

江戸時代では女性が「着ている物を洗ってあげる」と言えば
性的関係を許容してもよいことを意味したのだそうです。
これは現代では社会的に了解されてはいませんが、
そういう心情はあるのではないでしょうか。

   (今度あの人の下宿に行って、洗濯してあげるよ。糸針をもっていって……靴下だって、繕ってあげる)彼女は自分が日あたりのいい流しで大学生さんのシャツや下着を洗っている姿を心に思いうかべた。たしかに三カ月ほど前にみた映画のなかで1人の娘が恋人の学生のために溜まった汚れものを洗濯している場面が出てきたわ。娘は学生が一日中、勉強できるように彼のを洗っていた。ミツもあの旅館の出来事があって以来、吉岡さんの洗濯をしてあげたくて仕方がなかったのだ。あたしだってやくにたつわ。映画に出てきた恋人そっくりにやってみたいわ。
            (遠藤周作『私が・棄てた・女』)

 

ところが洗濯機の普及がこんな情緒をぶち壊してしまいましたね。しかも洗濯機でも父親の下着と一緒に洗うのをいやがるのは娘だけでなく、驚くことに奥方にもいるそうです(驚くことではないか)から、男と女の愛憎表現は機械と共に変遷するという面も確かにありますね。

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